1日も早く、日常が戻りますように!ホームホスピス『われもこう』(熊本市)を応援します!


4月14日、熊本地方を突然、震度7の大地震が襲いました。東京でもドスンと音を立て一瞬揺れ、テレビの緊急放送で思いもよらぬ地域の名前が流れました。16日の深夜に起きた2度目の地震後、事態の深刻さに気付きます。熊本市内にある「ホームホスピスわれもこう」はどうしているのだろうか…

宮崎にある全国ホームホスピス協会の理事長、市原美穂氏に相談したところ、スタッフも被災していて、夜勤が出来るスタッフが足りないとのこと。取り急ぎ東京の仕事を整理して熊本に向かうことにしました。

さて、交通手段はどうすればいいか?飛行機はまだ飛んでいない。熊本空港は益城町にあるらしい。在来線が動くという情報をいただき、博多経由で熊本入りすることに。20日、食糧、水、軍手や懐中電灯、携帯バッテリー、薬、寝袋と少々の着替えなどをスーツケースとリュックに詰め込み、熊本に向かいます。

博多までは新幹線で順調に到着。そこから鹿児島本線に乗り換えましたが途中から間引き運転しているとのことで、大牟田駅で約50分位電車を待ち、結局3時間位かかって熊本駅に到着。途中、熊本駅に近づくにつれ、屋根にブルーシートを被せた家屋が目立ちました。熊本駅は地震の被害で新幹線口が使用できず、白川口から出て、タクシーで「われもこう」に向かいます。タクシーが動いていて助かりました。

大牟田駅    熊本駅

鹿児島本線 大牟田駅(福岡県)            熊本駅

「われもこう」は熊本県熊本市西区、白川沿いの田園地帯にあります。築50年程の農家の母屋に普段は5人の住人が住んでいます。われもこうにはもう一軒、中央区に「われもこう新大江」がありますが、この度の地震でサッシが外れ、ガラスが割れるなどの被害があり、そこに住んでいる3人がこちらの家に避難してきていました。住人は総勢8人、8人中6人は車いすで全員、重介護が必要な方たちばかりです。また、普段は別々に働いているスタッフが一緒になって暮らしを支えていました。

われもこう外観 玄関 看板

倉庫ブルーシート「ホームホスピスわれもこう」

屋根にはブルーシートが。大雨で雨漏りが…。

壁にひびが入っていましたが、

それでも震度6、7に耐えた家屋。倉庫は無傷!

 

 

崩れた壁  盛り上がる壁

ちょっとわかりにくいですが、塗り壁が落ちたり、盛り上がったりしています。

壁の粉が床に落ちています。

 

 

 

 

すぐに、住人さん、スタッフさんにご挨拶して、住人さんの見守りや話し相手、食事介助、洗濯物干し、お掃除などのお手伝いをさせていただきました。

スタッフさんの中には被災し、親族の家などに避難されている方もいます。仕事をしながら自分の家の片づけもしなければなりません、そのために同居している親御さんを預けたという方もいらっしゃいました。「働いていると地震のこと、被災していることを忘れられる」、「現実逃避だね」と笑い飛ばしながら、住人のお世話をされているスタッフさん。どれだけ、ストレスを抱えているのか、計り知れません。

そのような中、風の人であるボランティアはスタッフさんの身体的な疲れを最小限にできればと思いました。勝手がわからないので、指示をいただくことになり、これもストレスとなってしまったかもしれませんが、淡々と住人の見守りの目や手になることに徹することが大切であると 感じました。少なくとも、夜間も大きな余震が続いていましたので、緊急避難が必要となった時の要員にはなれたかもしれません。

住人さんはいつもと違う家族がいるので落ち着かないことでしょう。また、新大江から非難されてきた方はさぞかし心細いことでしょう。

二度目の大きな地震の後に一晩だけ、近くの老人ホームに住人8人とスタッフ2人で避難させていただいたそうですが、これも本当に大変な一晩であったそうです。福祉避難所がうまく機能していないと報道されていますが、受け入れ側も、避難する側も普段から具体的な訓練をしているわけではないので、致し方のないことかもしれません。それだけ、福祉避難所(二次避難所)は大切な問題であることが今回明確になったと思います。

熊本入りして2日目、お天気は晴天。スタッフさんは住人さんと一緒に畑でエンドウを収穫してきました。「ピースご飯にしようね!」と和やかな時間が流れます。夜には住人さんの娘様がお父様のためにドリフターズの「8時だよ。全員集合!」のDVDを持参し、皆で見ました。住人もスタッフも大笑い!場が明るくなります。毎日、震度3、4の余震が昼夜続き、不安に覆われていましたので、こんな風に日常に戻れることは本当に重要であると感じます。

日常に 洗濯     隣の畑

この地域は幸いにも、1日1日、少しづつ水が出るようになり、ガスが開通し、普段の暮らしに戻りつつあります。しかし、ゴミの収集が追い付かないなど新たな問題が起き始めていました。住まいについても、全壊や半壊と判定されなければ被災者住宅の申し込みが出来ないなど、これからの生活の未来が見えないという現実的な不安を抱えるスタッフさんもいます。徐々に問題は変わっていくことを目の当たりにしました。

熊本にきて5日、何か中途半端な申し訳なさを感じながら、東京に戻りました。

今回、普通の民家のホッとする居心地の良さの中で暮らすことには、災害時のリスクが潜んでいることを痛感しました。しかし、街の中の普通の「家」で暮らすことは人としての魂の希求かと思います。施設をたくさん作り、要援護者を集めていく流れにはけしてならないでしょう。

『「ホームホスピス」の運営には覚悟がいる』

全国ホームホスピス協会、理事長の市原美穂さんはこう言います。

私はこれをお聞きして、「覚悟」とは決して「いのち」を軽んじることではなく、「いかに生きていくか」ということの選択であると感じました。大きなシェルターのような施設が良い方はそこを選べばよいのです。これからはなお一層、「住まい方」について住人やご家族と語り合い、市民とも一緒に考えていくことが求められていると思います。

そして、今後、私たちの地域で震災が起きることも想定して、倒壊こそ免れても、電気・ガス・水道が止まってしまった場合にどう生き抜いていくか、本気で練習していく必要があるかもしれません。

東京もいつ直下地震が来るかわかりません。

末筆ではありますが、この度、熊本行でお世話になりました、われもこうの管理者の竹熊先生とスタッフの皆様、全国ホームホスピス協会の市原理事長、全国のホームホスピスの関係者の皆様、そして、こころよく送り出してくれたNPOの仲間、家族に心より感謝します。

必要なとき、また、飛んでいきます。

(冨田眞紀子)